光市母子殺害事件の報道やネットの騒動を見て

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私は、この事件の関係者でも、当事者でも何でも無いので、勝手な意見ですが。

ネット上には、様々な人がブログや掲示板で活発に意見を交わしています。
そのほとんどが「被告人をさっさと死刑にしてしまえ」「会見で泣く弁護士気持ち悪い」とか、そんな感じですね。

まあ、確かに弁護士が会見の場で泣きながら声を詰まらせる場面とかを見ると、「こいつ冷静に弁護できるんか?」と疑いたくなりますね。
特に私なんかは、普段感情を表に出さないタイプなので(周りからは「何考えてんだ」とか、彼女から「目が死んでてコワイ」とか言われちゃうんですが)、こういう感極まった様な人を見ると“なんだ?コイツ”と思ってしまうんですね。
弁護士にはいつでもキリッとしていて頂きたいと思いますね。人間らしさを否定するわけではないですが、そういう部分を“グダグダな弁護士だな”と感じる人もいるわけです。

あと、「被告人をさっさと死刑にしろ」ってのは、気持ち的は分からなくも無いですが。大多数が自分の事ではないので無責任に“死刑”って言ってるだけなんですよね。がきデカ「こまわり君」の“死刑!”と同じノリですね。

↓ここからが私の意見。↓

母子を殺害し、死姦した(生き返らせる為の儀式らしいですが)。

これに対し、死刑でいいのか?確かに量刑的に考えても幼い子供、その母親の命を奪ったわけですから相当の刑罰が必要だと思います。ただ、「人を二人殺して自分も死ぬ」それで“一件落着”というのは、いささか安易ではないか?

目には目をとは言いますが、そのハンムラビ法典をきちんと理解していれば、誰でも彼でも殺したら殺せではないのです。
同じ罪を償わせるのは、あくまでも両者が対等な立場の場合に限るんですね。
例えば、ハンムラビ法典のその当時、奴隷が一般人の頬を叩くということがあれば、法典では奴隷の耳を切り落としました。
これは奴隷よりも一般人の方が地位が高いので、“一般人の頬を叩く”=“奴隷の耳を切り落とす”という事なんですね。

結局のところ、量刑的には“死刑”=“極刑”とされているから「死刑にしろ」という話なわけですね。
安易な発送かもしれませんが、死刑以上の極刑を作ればいいんじゃないかとも思うんですね。
アイディアなんて、何ぼでも真剣に考えれば出てくると思うんですよ。

、被告人は自分の命がかかっているから必死で抗っている。
弁護団は“被告人の刑罰を軽くさせる”事が仕事だから、一生懸命仕事している。

ただそれだけ。被告人は自分のやりたい事をやり、生き物としての本能“生存欲求”に従い生きようとしている。

それだけの事。 やった者勝ち≒稼ぐが勝ち 見たいなものかな?

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